SOLITUDE-klang

ヴィジュアル系オタクの冷酷で情熱的なライブレポ

【質疑応答】アスペルガー症候群らしき人が職場にいる

別のブログで書いている記事ですが

気が向いたので手を加えてアップします

音楽関係ない 心理学の話です

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メールにて質問を頂いておりましたので

わたくしの解釈で本気出して書きました

※いつも本気です

 

アスペルガー症候群ですと診断を受けられていない方でも

自分の足を引っ張る 大変な仕事仲間に手を焼かれている方って

結構いらっしゃるのではないでしょうか

かくいう私もつい最近までそんな環境で働いていました

 

今日はそれを例に取ってのお話です

 

”かくいう私もつい最近までそんな環境で働いていました”

と書きましたがすでにこの文章が

「私はできる側の人間である」ということと

「あの人はダメな人で大変な思いをした」ということを主張したい書き方なわけです

 

ダメなあの人とは例えば

・びっくりするほど仕事が遅い

・自分から動かない(気が利かないの最上級)

・自分のミスでもまるで罪悪感がない

・いつでもデスク周辺が驚きの汚さ

・順序立てて会話ができない

・人の話を一度で理解できない

・突拍子もない話題で突然親しげに話しかける

・仕事内容の中で悩むことがあると丸一日それで悩み続ける

・そのために仕事が遅れていることが理解できない

 

・・・・

 

私の隣にいた方がこんな女性でした

どうしてこんなに気が利かないのか どうしてこんなことができないのか

今までどうやって生きてきたのか・・・と

私にはまったく理解できないことばかりでしたが

こうゆう方との接触で何か感じるということは

何かしら意味のあることではあります

※私の提唱する心理学では 相手があーだこーだの前に

自分が感じていることに焦点を絞ります

 

 

”自分と正反対の人”というのはユングの提唱する心理用語で

シャドウ なんて呼ばれていたりして

 よく【生きられなかったもうひとりの自分】という表現で説明されます

要は自分は仕事が出来る側の人間と思っている人にとって

ダメすぎてどうしょうもなく見えるその人も 実は自分

もう一人の自分という話です

 

受け入れたくないですね  わかります

ですからその方を

受け入れようとしたり許したりしようすることを辞めるのが

まず最初にやることです

 

また そうゆう方を強く叱ってしまったり

パワハラに近い指導をしているのであれば

とりあえず今は それで◯としましょう

 

先ほど私が書き出したように

その方の信じられない部分や腹が立つ部分を

素直に書き出してみると 自分の反対側が見えてきます

 

・びっくりするほど仕事が遅い

・自分から動かない(気が利かないの最上級)

・自分のミスでもまるで罪悪感がない

・いつでもデスク周辺が驚きの汚さ

・順序立てて会話ができない

・人の話を一度で理解できない

・突拍子もない話題で突然親しげに話しかける

・仕事内容の中で悩むことがあると丸一日それで悩み続ける

・そのために仕事が遅れていることが理解できない

 

自分はそんな人間にはなりたくない のですよね 

そんな人間が自分と同じ給料もらってるなんて許せないのですよね

 

私もずっとそう思っていました(しかも私より給料多かった・・w)

でも

時々羨ましくなるんですよ  罪悪感皆無の太い神経や

否定されたり怒られたことを瞬時に忘れられる能力が

誤解を恐れずに言えば その馬鹿さが羨ましかった

その感情を探っていくと

 

 

こんな人間にならないように

一生懸命努力してきた自分の姿がありました

だから私の隣に居た彼女のこれらは

自分が自分に禁止していることの集合体 なのですね

 

アスペルガーっていうのは

激しい禁止や制限の中で育った満遍なく器用にこなす人間の

【生きられなかったもうひとりの自分】 なんです

 

 

勉強や仕事ができなくても

やる事なすこと信じられないくらい遅くても

片付けられなくても 特技がなくても

社会の役に立たなくても

デブでもブスでも図々しくても

 

それでも

 

それでもあなたを世界で一番愛している

何もできなくてもあなたが大切で私の誇り

どんなあなたでも私の自慢の娘よって

 

言ってほしかった

 

母に

 

 

本当は全然大丈夫じゃなかった

そんな時でも幼い少女は「大丈夫」と踏ん張ったのです

しっかりしてる 頭がいい 空気が読める

だから愛されるんだと思い込んできた

 

究極は ただ生きてくれているだけで私は嬉しいとさえ言ってもらえていたら

どんな自分も 自分で許せる大人に育つのです

でもそうゆう時代ではなかったし てゆうか今も

(私たちのようなことを言う人は宇宙人のような扱いを受けるw)

 

私の話をすると

母親自身がやることなす事信じられないくらい遅くて

運動神経悪くてチャリにも乗れないし

成績も良くなくて

言いたいことが言えなくて

気が付かなくて 自信がなくて ・・・

 

それで惨めな思いをたくさんしてきたのだと

話していたことがありました

だから私には

そんな思いをさせたくなくての「深い愛情」なのです

勉強ができて 仕事が早くて 気が利いて

協調性があって チャリに乗れて(笑)

言いたいことも言えたら

娘はきっと自分より幸せになれると思ったのでしょう

 

だから私は

母の希望になりたくて 母を選んだのかもしれません

ああそうかも

書きながらそうだと言う確信が持てました

母の【生きられなかったもうひとりの自分】を生きたのでしょうか

それも神の采配 全ては必要があって経験しています

 

ですから これでいいのだ なのです

 

このタイトルでこんな気づきが起きるとは(笑)思いもしませんでしたが

よく見かける対処法で対応していたところで

疲弊するだけです

どんな時でも自分を見つめること

これ以外に答えはありません

 

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補足:

 

そうゆう人を周囲に置くことで ”自分はデキる人間だ”と思いたい

がために(もちろん無意識です)周囲に配置する場合が多いです

逆から見ると「デキる自分でないと生きてはいけない」ぐらい

自分に厳しい人はこの傾向が強く

マウンティング女子と呼ばれる方がこのやり方で生きる許しを得ていたりします

周囲を悩みのタネとして 見下しているのですね

*それが良い悪いの話ではなく 分析です

 

それに困っていると言う場合は

上記のように自分の内面を見つめ続けて

自分を癒せた時に

そうゆう困った社員さんたちはいなくなります

 

ポンコツがいなくなったら困る!という現在の本心に気づいてあげることが

第一段階になります