SOLITUDE-klang

ヴィジュアル系オタクの冷酷で情熱的なライブレポ

桃色の雲が空を流れる



hideちゃんの「JUNK STORY」を観て来ました


ようやく観てきました(笑)

落ち着いてじっくり鑑賞できました



※この記事ネタバレ含みます






hideちゃんを知ったばかりの頃に
弟さんの書かれた書籍を読みましたが
あれはこのことを言ってたのか

といった感じで
当時とはかなり解釈が変わりました



自分の中にもうひとり
自分を突き動かしてる奴がいる



うん
いる

大きな意味で自分を包み導く誰かが
ずっといる


…これとはまた別の話だと解釈していますが…


映像の中で度々
彼の持つ二面性について触れていましたよね





誰にでも少なからずある
嫌いな自分の存在



対して理想的な自分像を持ちはじめると


人はその幻想を目指して生きようとします

その人を演じる中で良いと感じるものを善し
宜しくないと感じるものを悪いと判断し

人を
自分を
裁いて生きてゆきます





彼はその象徴をステージの上で演じることで
本来の姿とのギャップが大きく開いたと思いますがそれでも

「HIDE」の姿に巻き込まれることなく
置いてきてしまった少年のことを大切に想い続けていた


それが彼がスーパースターでありながらも
人間的であることができた大きな要因なのではないかなと思います



29歳のhideがあの少年に向けて書いた手紙は

生きていく中で私達が忘れてしまっている

理想とはほど遠い自分の姿を思い出させてくれました





初めてhideという人物を観た時
ああ私は…
彼のこの狂気じみた姿に
少女時代に抱いた自分の理想を見たんだなと
思いました




私達は
今の自分をそのまま自分自身と思い込んで生きていますが

本当は誰もが
学びたいことを学ぶために
知りたいことを味わうために
その人を演じているのかもしれません



JUNK STORYを観て

彼の中でのhideという物語が
狂ったギタリストのHIDEから、ソロのhideになり
ボーカリストのhideになり…と変化し

そして終わったのだ


ということを理解しました



そしてその死には
とても大切な使命がありました






途中で終わったように見えた
hide with Spread Beaver
Zilchの物語

この続きを
必ずやろうとする人がいる


それは
hideひとりが続けていくことの
何十倍ものパターンで可能性があり


彼の意志を継ぐでもスタイルを継ぐでも
いろんな視点で憧れを形にする

そうゆう可能性が圧倒的に広がるわけで


「死」さえも
hideという人物の後ろ側にいるソレの
計算のうちだったのではなかろうかと




本当に一部の方にしか通じない考え方だとは思いますが



今彼が生きて音楽をやっていたら
誰がその近くに行けるんだろうか
と思うくらい未来だった



彼の音楽が今過去形だから
目指そうとするいくつものバンドが存在できるのかなとも思ったりします





私は彼がいなくなった後のファンなのですが
年齢的に同じ時を過ごせたはずなのに
それができなかったことを
何年も悔やんできました


だけどそんな必要はもうなくなった


彼がいなくなった後のファンだからって言われたらそれまでですが
私はJUNK STORYを終始笑顔で観ていました


涙が出たとすれば
あまりに大好きすぎて泣くくらいで(笑)







記憶というのは
自分で創ってゆくものです


過去に起こった出来事は変えられなくても
その出来事に対する思いは変えられる
それができるのは自分だけです



そして相変わらず私は彼が大好きで
憧れで
これからも
「今はもういないhideさんという人物を見ている人生」を
歩んでゆくのだと思います



誰にも話が通じてなくても
構いません(笑)





誰もが出逢うべくして出逢っている

そこには必ず
それぞれに必要なメッセージが込められています

大好きだった誰かがいなくなるとは
そうゆうことなのです


映画の中で印象に残ったのは

YOSHIKIの「…別にオチはないんだけど…」

(笑)


あと
ZEPPET号の中で感激しながら
タバコの箱のカスをポイポイ捨ててくhideちゃんの姿(笑)





一緒に過ごしてきた彼等にとっては
過去になんてなれないんだよね

見ていて辛いけど
それが彼等にとっての学びでもあり

きっとあの人達じゃなきゃ背負えない痛みなんだ





主観的にお話ししましたが
あくまで私個人の解釈ですのでご理解願いますね


最後まで読んでくださって
ありがとうございました